本日より、浦和にまつわる文化についてアップしていきたいと思います。
「浦和画家」
この言葉が広まったのは、大正~昭和初期(戦前)で、耕地整理事業によって宅地の整備が進められていた浦和に学者や文化人、芸術家などが東京から移り住んだ事から始まります。(関東大震災後)
明治以降の浦和の街は、官庁、学校等の公的機関をはじめ、病院や教会等の洋風建築が点在しその周りに畑や雑木林、牧場が広がる田園都市でした。
東京に近くハイカラで牧歌的薫りのする土地柄は、美術を学ぶ画家にとって心惹かれる場所の一つだったのかもしれません。
「浦和画家」の一人である高田誠氏は、浦和で一生を過ごしたとされ長く地域を代表とする画家として活躍しました。浦和の風景を題材にした作品も多く、現在でも市内の公共機関のあちこちで壁画を見ることができます。
「浦和コルソ」のアーチ状の大きなモザイク壁画も作品のひとつです。
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