昨日、初代酒井甚四郎の足跡となぜ浦和で奈良漬なのかについてアップしました。
今日は2代目酒井甚四郎についてです。
家業を引き継いだ二代目幸吉も「甚四郎」を名乗り、以後、酒井家は代々襲名することになります。大正から昭和へと時代が遷ると、間もなく日本は第二次世界大戦へと突入。
戦況は日に日に激しさを増し、浦和の地にも戦火が押し寄せるようになります。もはや事業を継続するなど困難な状況でしたが、そのような環境の中でも二代目は奈良漬製造に命を燃やし、空襲警報が鳴り響く中でも防空壕へ避難せず、奈良漬作りの手を止めなかったと言います。
こうして、二代目は激しい戦火の中も必死に酒井甚四郎商店の暖簾を守り抜き、戦後間もない昭和29年に息を引き取りました。
ちょうど、第二次世界大戦の時期と被り長い文章は残っていませんでした。
また、「甚四郎」という名前も代々襲名にしたのも2代目ですね。
酒井甚四郎商店の名前の意味がこれでわかりますね。少し身近に感じて頂ければ幸いです。
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