本日も引き続き、文化についてアップします。
1923年、関東大震災が起きると、大きな被害を免れた浦和は住宅地として注目を集め、東京から多くの人が移り住みました。
東京から浦和に移り住む人々の中には学者や文化人、芸術家も多く「別所沼」を臨む高台に位置するおよそ10万坪の鹿島台が住宅地として注目されました。「自然が豊か」「学校や美術館の多い上野に近い」という理由などで鹿島台には40名以上の画家が住んでいたといわれています。
鹿島台と「別所沼」畔は「アトリエ村」「芸術家村」とも呼ばれ、今日まで浦和の文化を牽引し続けています。
別所沼のほとりには週末住宅としての「ヒアシンスハウス」建設を構想した建築家であり詩人の「立原道造」も浦和にゆかりのある文化人としても知られています。
現在、「別所沼公園」として整備され2004年に建設された「ヒアシンスハウス」は「地域の文化活動の新たな拠点」として浦和の歴史を現代に伝えています。
別所沼公園はマラソンランナーの方も数多く走っています。真ん中に湖畔があり、その周りを囲むように歩くことができます。四季によって風景も変わり本当にきれいな場所です。芸術家の方たちがすき好んだというのが良く分かります。
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