今日は4代目酒井甚四郎についてです。
三代目の生きた教育は自分の息子にも託した。四代目を継いだ現相談役の甚四郎には、跡取りであっても御用聞きから始めさせ、商売の難しさや苦しさを叩き込みました。「午前中に注文取りに出かけ、昼には袋詰めして午後に配達と集金という日々を半年以上もやらされた。」と話しております。
その後、三代目の勧めで結婚、妻とともに家業を引き継ぎ、奈良漬の販売で新たな試みにチャレンジします。ちょうどその頃、スーパーマーケットが浦和にも進出し、競争が激しくなりました。そこで、甚四郎相談役は、店内を入り口と出口の2か所に分けて、出口には当時ではまだ珍しかったレジスターを置き、買い物客が商品を好きに選んでレジで会計する、というセルフサービス方式を先駆けて導入。商品数を100種類ほどに絞り込み、ますます奈良漬販売の専門店へと特化させました。
四代目は経営方針の転換に能力を示しただけでなく、奈良漬製造でも先代たちに負けぬ技量を発揮した。最大の功績が“きざみ奈良漬”の開発で、1961年(昭和36年)のJR南浦和駅開業に合わせて発売してました。奈良漬の瓜とキュウリを刻み、吟醸粕で漬け上げた逸品で、粕をふき取る奈良漬とは違って、水洗いをせずに酒粕と一緒に食べる目新しさと、すぐに食べられるように刻んである便宜さが評判となり、時代に乗って大ヒットしました。
この「きざみ奈良漬」は現在も核家族化や洗わずに食べられるという事で一番の人気商品です。
三代目考案の「浦和漬」四代目考案の「きざみ奈良漬」の商品は後で別アップします。
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