今日は3代目酒井甚四郎についてお話しします。
三代目を継いだ徳久は、早い時期から二代目の下で家伝の技法を学びながらも独自性を発揮し、昭和9年に今も酒井甚四郎商店の看板商品として人気の「浦和漬」を開発しています。同年、陸軍の特別大演習で埼玉県に行幸した昭和天皇に、その浦和漬や奈良漬を天覧しました。
三代目は経営に対しても非常に追求心旺盛で常に時代の潮流を見極めながら事業を展開させていました。戦後、事業が軌道に乗ると店の法人化に取り組み、「株式会社酒井甚四郎商店」を設立。同時に酒や物産品の小売りを取りやめ、〝奈良漬一筋で生きていく〟決意を表しました。大手百貨店三越に奈良漬を納めるようになったのはこの頃のことで、埼玉で宣伝するのではなく東京から浦和の奈良漬をPRするという画期的な戦略を立てたのも三代目でした。
また三代目は、障害者の雇用を推進するなど、社会貢献にも力を入れていました。
浦和漬は1934年に昭和天皇に展覧されていますので、商品としては84年経っている商品です。
現在「浦和漬」は浦和の名前が付いておりお土産としても人気がありますが、感慨深いものがありますね。
3代目が現在の酒井甚四郎商店の方向性を築いたといっても過言ではないでしょう。
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